論語
娘のにこは、教科書の音読を暗記して読む癖がある。
昔、絵本を読み聞かせていた頃は、同じ本を1日に20回くらい読まされたものだった。
そのうちに、にこは絵本の内容を覚えて、一人で声に出して読むようになった。
字が読めないから、内容を覚えて自分で読んでいたようだ。
はじめが生まれて、にこが絵本を読み聞かせている事があった。
その時にこは5歳くらいで、まだ字があんまり読めない状態だったけど、暗記した絵本を流暢に弟に読み聞かせていた。
そして弟が選ぶ本によっては、「その本はまだ覚えてないから読めない」
と言っているのを見た事があって面白かった。字が読めないではなく、覚えてないから。というのが面白かった。
小学生になると、音読みの宿題が毎日出るようになった。
にこは、読む項目を一通り記憶すると、本を持たずに、記憶で読むようになった。それも、「本読むのめんどくさいから、覚えてるからそれ言っていい?」という感じで。
その手抜き感が生意気ながらも、よく何ページも覚えれるなぁと感心して見ていた。
次第に、にこの記憶音読が定着してきたときに思ったのは、
「こんなに覚えれるんなら、もっと難しいこと覚えさせてやろう」ということで、
自分の持っている「論語」の本を本棚から引っ張り出した。
江戸時代の教養の基礎は四書五経だった。
今で言う、国語の読み書きや、算数の計算は子どもの手習であって、少年、青年が学ぶのは儒教の教えと問答、議論だった。
「孔子はこう言ってるけど、君はどう思う?」
「いや、孔子はこう言ってるけどそれはどうかなぁ。」
それに憧れて「論語」を買ったけど、なかなか一人では勉強が進まず、何年かの時を経て、自分の娘と勉強ができることになった。
にこも今の所は付き合ってくれるので、親子で楽しく問答勉強をしている。
「孔子はこう言ってるけど、にこはどう思う?」
「う〜ん」
楽しいね。