展示会の風景 その7

僕の父は建部で一人暮らししている。
会うのは年に2回くらいだろう。父が新米をくれる時とカレンダー展に来てくれる時だ。

今年はそんな父が高梁にやって来た。
恒例の新米を持って来てくれたわけだけど、はじめは土曜日に来ると言っていたのが、金曜の夜に来た。
この唐突感がいかにも父らしかった。

僕の父は、僕が物心ついた頃は家にいなかった。
週に1回とか、何ヶ月に1回とかでふらっとやって来るイメージだった。
用はうちの両親は離婚しているのだ。それを知ったのは大人になってからだった。

今では離婚とかはそんなに珍しくないみたいだけど、うちの家庭は姉も1回離婚してるし、母も離婚してるから、離婚に関しては最先端の家庭だった。父親がいるという状態を知らないので、結婚して自分が父親になると手本がない。
世間でよく言う「父親の威厳」とかがわからない。
僕の子育てのお手本は基本的に母親で、父親役は今も手探りでやっている。

その当時は父は厄介な人だったし、会ってもどうしていいかわからなかったけど、今は話のネタになるいい父だ。
ぼくの親友の1人は、いつも父親ネタで爆笑してくれる。
それに、大人になっていろいろ経験して30歳も半分以上過ぎた頃になると、父の気持ちや考えも理解できるようになってきた。これはこれで1つの人生だなと。

林製本を辞めて高梁に移住する事を話したとき、その決断を全肯定してくれた人たちの1人も父だった。
父はいつでも僕を肯定してくれる人だった。レジに通す前に店内で牛乳を飲んだり、道の真ん中に平気で車を駐車するような人だったけど、僕の行動や考えを否定された事は一回もなかった。
高梁に行ってすぐは、孤独や不安が強かったから、父の全肯定発言は非常に励まされた。

林製本での5年間はとても説明しにくい経験だ。
培った技術や知識はとても大きいけど、あそこで味わった苦痛や孤独、強い怒りは誰に話してもたぶん理解してもらえないし、うまいこと説明することもできない。
しかし父には通じた。なぜなら父も林製本で働いていたからだ。僕と似たような立場で同じような経験をしていたからだ。
「まぁ、説明せんでも、お前の気持ちはだいたいわかるわ。」と父は言った。
たぶん、僕も似たような経験をしている誰かに出会ったとき、そんな感じで理解してあげられると思う。
本屋さんにはポジティブな人生の本しか並ばないし、テレビには成功事例しか流れないけど、巷に転がっている日常の多くは、うまくいかないものが多い。
しかし生きてさえいれば、すべての経験が活かされていく日が必ず来る。
お互いに生きるのがへたな父と息子であるけど、お互いに残りの人生を粛々と生き、実践を積んで、なるべく人の役に立つよう努力して、最終的には笑って往生したいものである。

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