世に棲む日日を読んで

この小説はもう何回も読んでいる。
先月から読書週間に入っており、暇を見つけると、あえてスマホを見ず本を読むようにしている。

司馬遼太郎著『世に棲む日日』は、幕末の山口県を舞台に、松陰吉田寅次郎と高杉晋作の生涯を描いた作品だ。
昔は読むのに時間がかかったけど、今はけっこうすぐ読める。

読むのに時間がかかったというのは、その情報量だ。
司馬作品は、普通の時代小説の数十倍の情報が1冊に凝縮されている。

頭が悪かった頃は、次から次に入ってくる情報に記憶が追いつかなかった。
中学生の時読んだ『燃えよ剣』の最初の感想は
『なんか色々むずかしかったけど、土方カッコイイ。』という悲惨さだ。
その後何回も読んで、他の作品も読み比べて、土方歳三や新撰組というものが少しずつ理解できた。
だから、僕にとって司馬遼太郎作品が「何回読んでも面白い」というのは、
正確にいうと、「何回読んでも細部まで記憶できないので、毎回知らないことが小説内で起きるから面白い」なのかも知れない。

もともとジャーナリストだった司馬遼太郎は、主題に対する徹底的な取材が特徴だ。
たとえば高杉晋作を書くなら、町の古書店すべてを軽トラで巡回して本を買い尽くすということで、
井上ひさしが何かの戯曲を書こうと古書店に行ったら、司馬遼太郎が来た後で、欲しい本が一冊も残っていなくてキレたという逸話が残っている。
そういった膨大な資料を基にして組上げる物語は、どちらかというとドキュメンタリー映画に近く、司馬作品は1人の人物の主観の話ではなく、その時代全体の壮大な群像劇を俯瞰で観察するような作風である。

中でも僕が何度も読んでいるのは、『項羽と劉邦』と幕末に関わる3作品である。
『世に棲む日日』『燃えよ剣』『龍馬がゆく』

僕の中で幕末というのは、ドラマチックであると同時に不思議な時代である。
当時の徳川政権というのは、今日の自民党政権にそっくりで『無能』であった。
その感覚の鈍さ。対応のまずさ。行動の遅さにおいて、瓜二つである。

いわゆる幕末と言われる時代に国を動かしたのは、今で言う『政治家の先生たち』ではなく、一握りの学生と一部の優秀な官僚である。
彼らはなんで命を掛けてまで、あんなことをやろうとしたのだろうか。
どうしてこんな映画のような物語が起こったのか。司馬作品を読めば読むほど不思議に思えた。
色々考えて、それは当時の教育・教養と武道にあるのではないかと思ってみたけど、よくわからない。

なにせ、この物語は何回読んでも面白い。
1つには、その文体の持つ迫力や描写が、読んでいて目の前に景色が広がるようなところがあるからではないかと思う。



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