鬼滅の刃

僕は世間で起きているブームには、落ちついた頃に覗いてみるタイプである。
買い物と同じで、人が混んでる時は行きたくないからだ。

そんな僕が最近ハマっているのが『鬼滅の刃』である。
このマンガは破格の人気であり、その勢いはまさに旋風の如し。2020年はコロナか鬼滅かと言っていい一年だった。

先日、仕事で岡山市内に行く時、途中の昼休憩をネットカフェで過ごした。
その時に「そういえば『鬼滅の刃』に触れてみるか」と思い、第1巻を手に取った。あっという間に読み切ってしまった。

一言で言うと『めっちゃくちゃ面白い』。陳腐な表現だけど、それが率直な感想である。
その1週間後、実家に帰る便で第5巻までをTUTAYAで借りて一気に読んだ。

なるほどこれは世間を賑わすに足る面白さ。
しかし、第5巻までの感想でしかないけど、こういった物語がこれだけのブームになるんだなと意外な気持ちだった。
確かにストーリー展開は早く、設定や世界観も単純明快でわかりやすい。表面上は少年誌らしいバトルマンガではある。
だけど、例えば『ワンピース』が「陽=笑顔」のマンガだとするなら、『鬼滅の刃』は「陰=哀しみ」の物語である。
非常に繊細な部分を持つマンガだなというのがここまでの一番の印象だ。
それが世間にこれだけウケているということが意外だった。

鬼滅の刃はただのバトルマンガではない。
確かにこのマンガはスリリングな展開に満ち溢れているが、物語の本質は戦いの勝敗の外の部分を大切にしているように感じる。
その肝は主人公 炭治郎の人間性にある。
炭次郎の人生を一言でいえば壮絶な悲劇であり、先にも書いた通り、この物語は炭次郎の哀しみについての話だ。
しかし彼はとてつもない悲劇に見舞われながら温もりを失わず、彼自身が接する人間に対して常に平等なのである。それはなぜか。
それは、彼の両親が愛情深く彼や彼の弟妹を育てたからである。
その愛情とは何か特別なものではなく、今でもどこにでもある普通の家族の姿だ。
親が当たり前に子どもを大切にし、その愛情が自然と子どもに備わっていく。
そんな普通の家族の記憶が炭次郎の最大の武器なのである。
彼がどんな困難や哀しみに出逢っても、この家族の記憶が彼を守るのだ。だから炭次郎はいつでも命に対する配慮を忘れない。
それは敵に対しても同じだ。彼の前には強大な敵が次々と現れる。しかし炭治郎はその敵に対してさえ、『彼らも生きている』という認識を忘れない。この命そのものに対する炭治郎の配慮は、彼の味方だけでなく、憎むべき敵の心情すら揺り動かしていく。

もちろん炭次郎は修行していろんな力や技を身につける。
しかしこの物語では敵を倒すためのカギが、必ずしも力の強弱や技の優劣にあるわけではない。炭治郎は時にこの『命に対する思いやり』の中に活路を見出し、困難を切り抜けていく。
『相手を理解すること。人の哀しみを知ること。』
主人公の戦い方として、力や技だけでなく、そこを描くという所がとても面白かった。

結果主義、個人主義の時代にこういった価値観のマンガが出て来て、受け入れられていることが興味深かった。
機会を見つけて全巻読破したい気分である。

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