シン・ウルトラマンを観て(ややネタバレ)


約2年半ぶりに映画館で映画を観た。
それがこの作品。制作決定時からずっと楽しみにしていた「シン・ウルトラマン」だ。
にことはじめも連れて行き、親子で楽しく鑑賞。

感想はもちろん最高。

なんといっても、久しぶりに映画館で映画を観たこと。子どもと一緒に観れたこと。
そして楽しみにしていたシン・ウルトラマン。

面白い云々より、「ありがとう ウルトラマン」の気持ちが強かった。
内容に関しても、なんの文句もない。ただ、ただ、ありがとう。

冒頭から次々と怪獣(禍威獣)が出てきて、ウルトラマンもすぐ出てくる。
超かっこいい、超破壊力のスペシウム光線(終盤で、斎藤工が政府との駆け引きに使う言葉に十分な説得力を持たせる。)も開始15〜20分くらいで観れるというサービスぶり。

前作(シン・ゴジラ)の特徴だった「早い展開」は今作ではさらに加速している。
冒頭、矢継ぎ早に出てくる禍威獣と、とても読めない高速テロップの連発で、1分ほどで映画の世界観の説明を終わらせるところは笑った。

「はい禍威獣〜。禍威獣、禍威獣、禍威獣〜。禍威獣いっぱい出てきたね〜。はい、わかったかな〜。
はい、本編いくよ〜。」

その後も話は次々と展開する。いろいろ難しい話も出るんだけど、
「ここで言ってること理解できなくても、なんか難しそうだなって思ってもらえたら、それでいいですよ」
と言わんばかりにさっさと次の展開に行く。
はっきりいって最後のゼットンの倒し方は超意味不明だったけど、
「うーん。なんかよくわからんけど…、結論、人類頑張った!ウルトラマン、ありがとう!
って思えばいい!
そういうノリなんだということはわかったし、それで十分楽しかった。そういった「意味わからない」を含めて楽しめる作品になっていた。
ウルトラマン、ありがとう。

ただ、この展開の早さには訳があって、今作はとにかく内容がてんこ盛りなのだ。
「ウルトラマン現る」から「にせウルトラマン」、「異星人の来訪」、「ゼットン戦」までを一気に見せる。
なのでコンパクトだったシン・ゴジラに比べると、かなり内容が渋滞している。
ただし、それがフラストレーションにはならず、逆に、「こんなに見せてくれてありがとう」と言いたいほどの濃密感。

また、映画内にはところどころに「シン・ゴジラ」の匂いが漂っている。

映画のオープニングでは、最初に「シン・ゴジラ」のロゴが出る。それが変化して「シン・ウルトラマン」のロゴになって映画が始まる。まるで「この二作は共通した話ですよ」と言っているかのようだった。

劇中には「マルチ・バース」という言葉が出てくる。
おそらくこの「シン・ウルトラマン」の世界は、「シン・ゴジラ」の世界の別次元で起きていた物語なのだろう。
その証拠に、映画の一番最初に、明らかにゴジラと思われる怪獣(禍畏獣)が出てくる。
つまり、今作はゴジラが現れなかった世界であり、「シン・ゴジラ」はウルトラマンが現れなかった世界なのだ。
そう考えると、「シン・ゴジラ」で戦車に乗っていた斎藤工が今作で主人公であることも、途中から赤坂さんが出てくるところも、マルチバース的視点で観れて面白い。

「シン・ゴジラ」も「シン・ウルトラマン」も、原作への回帰(リスペクト)から出発している物語だ。
「シン・ゴジラ」は、
「現代の日本に絶対的で太刀打ち不可能な脅威(=ゴジラ)が訪れたとき、日本人はどうするのか。」
という、ゴジラ第一作のコンセプトに回帰した物語だった。

一般人ではなく政治家を主人公にし、巨大不明生物(ゴジラ)に国はどう対処し、行動していくのかを徹底した取材で描写。そのリアリティが話題を呼んだ。

「シン・ゴジラ」は、原作を踏襲したリアル路線を目指す一方で、ゴジラそのものの描写に対しては、大胆に破壊していった。
「巨大不明生物」という呼称。変態を繰り返し、進化すること。あり得ない威力の熱線を(いろんなところから)放つなど、これまでのゴジラにはなかった設定が次々に出てきた。

「シン・ゴジラ」で描かれる日本は、「怪獣」という概念がなかった世界として設定されている(つまりこれもマルチバース)。そこに現れるゴジラという存在を表現するためには、鑑賞者の中にある既存のゴジラの破壊が必要だったのだと思う。
原作の持っていたリアリティ=「初めてゴジラを目撃・体験する人類」を表現し体感させるため、ゴジラ本来の設定を破壊し、「巨大不明生物」として再構築したのだと思う。

シン・ウルトラマンも、「原作への回帰」というコンセプトからスタートしている部分は同じだったが、今作では、ウルトラマンのデザインに対しても回帰を試みているところが特徴だった。
シン・ゴジラがやった「既存の破壊」の逆である。
ウルトラマンにはカラータイマーがなく、体はほっそりとしていて、背中には背びれがない。
滑らかでメタリックな体のラインは、長澤まさみが思わず「きれい…」と言ったくらい、美しい。

これはウルトラマンのビジュアルをデザインした成田享氏へのリスペクトであり、氏が描いた本来のデザインを忠実に再現した結果であるということだ。

このデザインの意図を知ってふと思い出したのは、昔、子供のために買った、やなせたかしの絵本「あんぱんまん」だ。
「アンパンマンって、本来こういう話なんだよ。」
ということを知って欲しくてこの本を買った。
そこには、アニメに出てくる勇ましいアンパンマンの姿はない。手足がひょろ長く、ボロボロの服を着て飛んでくる「あんぱんまん」は、アンパンチを使わない。
ただただ、お腹の空いた人を見つけては救うだけなのだ。
シン・ウルトラマンは、これに近いと思った。
「後付けでいろんな設定されてるけど、ほんとはウルトラマンってこういう話だったんだよ。」
と教えてもらえる映画でもある感じがした。
ウルトラマン、ありがとう。

今作のパンフレットには、一切、庵野秀明の情報が載っていないので、庵野氏がどこまでこの作品に関わり、完成した作品にどのような感情を持っているのかは何もわからないけど、鑑賞者として言えることはただ一つ。

ウルトラマン、ありがとう

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