燃えよ剣を読んで

司馬遼太郎著 『燃えよ剣』をはじめて読んだのは中学生のころである。
母に連れられて、岡山駅地下のセルバという本屋で買ってもらった。
その当時の岡山駅の地下は、狭い地下通路が四方に伸びていてモグラの巣穴のようだった。

その地下の一角にセルバはあって、入り口の平台には最新の雑誌が積まれ、狭い通路を奥に入っていくと文庫本がぎっしり詰まった棚が続いている。会社員や学生、主婦、いろんな人が立ち読みしていた。
高校生の頃は学校の帰りに立ち寄り、映画雑誌「ロードショー」を買っていた。
母は、ゲームとおもちゃは買ってくれなかったけど本は何でも買ってくれた。
その日も好きな本を買ってくれるというので、店内を歩き回っていると『燃えよ剣』というタイトルの本が目に入った。表紙は紺と赤で上下巻に分けられており、カバーイラストはなく、筆文字で『燃えよ剣』と大きく書かれているだけだったけど、そのタイトルのインパクトがすごくてその本を選んだ。中身は何も知らないので、上巻だけ買ってもらおうとすると、母は下巻も買ってくれた。

持ち帰って読むと主人公は土方歳三で、本は新選組の話だった。
それまで小説を全然読まなかったので、この2冊を読むのは大変だった。読んでも書いてある言葉の意味がよくわからなかった。しかし、わからないながらも、物語の要所では不思議と映像が浮かぶような描写があったりした。何日かかったのかわからないけど、下巻を読み終わるころは、歳三の壮絶な最期が映画のシーンを観るように想像できるようになっていた。

それから、定期的に何回もこの本を読み返している。新選組が大好きだった時代もある。
やがて『世に棲む日日』や『龍馬がゆく』などを読み、それらと読み比べていくうちに、あらためて新選組とはどんな集団だったのかを考えさせられた。

そして、今また『燃えよ剣』を読み返している。

今回読んで意外に思ったのは、この本は終始、歳三の視点で進んでいくことであった。
司馬遼太郎の小説は、描こうとする題材(人物・時代)に関する情報が膨大なために、主人公を含む人物群を俯瞰で語りながら、当時の時代背景や、そこで起きた事件の考察に迫っていく特徴がある(と勝手に思っている)。
しかし、『燃えよ剣』に関しては、歳三ただ一匹の生き様にぐっとフォーカスされている印象を受ける。
時代への考察よりも、歳三一個の思想を物語にしている。映画に例えたら『世に棲む日日』がドキュメンタリーだとしたら、『燃えよ剣』はドラマだ。


今、下巻を半分まで読んだ。歳三はいよいよ函館へ向かおうとしている。



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