描いてて楽しい感覚


昔、大学受験のためにデッサンの教室に通っていた。
僕は教室に行くのは好きだったけど、デッサンをするのはとても嫌いだった。

教室にはたくさんの生徒がいて、みんな鉛筆を何本も握って夢中で描いているのだが、
僕は「こんなもんの何が楽しいんだろう」と密かに思っていた。
静物デッサンは短くて3時間くらい。有名な美大を目指す人は半日以上かけて複雑なデッサンを描く。
僕は5時間向き合って、何も描けないことがあった。
それくらい、デッサンは僕にとって意味不明な作業だった。

デッサンを描いた後は講評が待っている。
先生がみんながいる前で生徒に1人ずつ講評する。「ここはこうした方がいいよ」とか「ここがいいね」とか言うのだ。
こんなものは、描けない人間にとってはただの地獄である。
自分の絵がヘタなのはよくわかる。でも、他の人のデッサンを見ても、上手いのかどうかよく解らなかった。
先生はいろんな比喩や世界観を交えて上手な生徒の作品を解説するのだが、
英語の話せない人間が、イギリス英語とアメリカ英語の違いが解らないように、僕にはその解説もよく解らなかった。
どっちも英語じゃん。みたいな。

そんな時にデッサンの上手い人たちが決まって言うセリフが
「描いていて楽しかった」である。

僕はその後もデッサンを特訓して、なんとか大学に合格できた。
しかし、「描いていて楽しい」という感覚はついにわからなかった。
合格して感じたのは。「これでデッサンしなくていいんだ。」という安心感だった。
たぶん、僕は画家じゃないんだろうな。と、その頃から薄々感じていた。

大人になって、いろんな作家さんに会って、この人凄ぇな。と思うことが何回かあった。
その凄い作家さんたちが決まって言うセリフが
「作っていると時間を忘れちゃう」である。あの八代亜紀さんもテレビでそんな事を言っていた。
僕はこの感覚もわからなかった。
猫のイラストを描いていても時間を忘れた事はない。ちゃんと飽きるし、お腹も空く。平気で絵の途中で作業を中断できるし、そもそも15分以上絵に対して集中できない。

最近になってラジオや音楽を聴きながら絵を描いても、全く音源が聴こえなくなるという現象が起き始めたが、これは集中してるというより、加齢によって2つ同時にできなくなっているだけである。
だから、たぶん僕は作家やアーティストでもないんだろう。

では僕にとって猫のイラストは何なのだろう。

はっきり言える事は、『めっちゃ短時間で描けて楽』という事だ。(この時点で作家としてダメだろうな。)
イラストのアイデアなんかとっくに尽きているし、完成したカレンダーも良いのか悪いのかもう分からない。
愛子さんや迫田さんが「良い」と言ってくれるから描いているだけであって、それがなかったらとっくに辞めている気がする。

現在、2022年に向けた作品を作っているけど、枯渇した大地を地道に掘って新たな水脈を見つけるような作業である。
とても描いていて楽しいというものではない。

先日、愛子さんと仕事の打合せに行った。
25歳くらいで時間が止まっているような、元気いっぱいのクライアントさんとの打合せ。
今回の仕事は(いつの仕事も)愛子さんのイラストがメインだ。
そのアイデアをプレゼンしている時に愛子さんが言ったセリフは
『描いていて楽しかった』
であった。

出たーーー!
描いてて楽しい人、隣りにいたーーー!

僕もいつか、描いていて楽しい大人になりたいです。

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